ケータイ辞書JLogosロゴ 貝柄崎(中世)


鹿児島県>金峰町

南北朝期から見える地名薩摩国阿多郡南方のうち貞和2年9月4日伊作道恵・二階堂行仲連署注進状に「渋谷一族等,此間為当城(池辺城)合力構行,件領内野崎村(阿多郡)に要害楯築処,凶徒等率大勢,去七月三日就于取彼城,近所貝柄崎仁向城,今月四日卯剋,渋谷一族不残一人棄城引帰畢」とある(伊作家文書/旧記雑録)また,応永25年伊作氏と阿多氏とが兵を構えたとき,伊作氏は島津久豊に援兵を求め,一方,阿多氏には別府氏・鮫島氏および川辺【かわなべ】・知覧・頴娃【えい】・揖宿【いぶすき】の兵がこれを助け,一手は田布施に,一手は貝柄崎に陣を構えた2月9日伊作氏は貝柄崎の塁を攻めたが大敗し,多くの戦死者を出したそのうち,阿多氏の援軍は久豊が揖宿を攻めると聞いて,みな引き揚げたという(島津国史)なお,康永2年9月新田宮権執印代俊正軍忠状に「一,同月(暦応4年8月)阿多郡鮫島城御発向之時,属于御手,致軍忠畢」とある(水引権執印文書/旧記雑録)当時宮方として活躍した阿多郡南方領主鮫島氏の居城で,貞和2年9月4日伊作道恵等連署注進状に見える貝柄崎にあったとされる城をさすものであろう金峰【きんぽう】町宮崎のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461563
最終更新日:2009-03-01




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