ケータイ辞書JLogosロゴ 鹿児(中世)


鹿児島県>枕崎市

 鎌倉期から見える地名。薩摩国河辺【かわなべ】郡のうち。嘉元4年4月14日河辺郡地頭代官・同郡司千竈時家譲状に「かこのむら」とある(千竈文書/県史料拾遺)。建武3年3月17日足利尊氏下文によって,河辺郡は島津貞久に与えられたが(道鑑公御譜/旧記雑録),貞久は延文4年4月5日譲状において「河辺郡内嘉古村」を松浦女房に与え,一期の後は惣領師久に返付するよう命じた(師久公御譜/同前)。永享8年8月10日守護代島津好久(用久)宛行状に「河辺郡鹿児半分廿町」とある(種子嶋家文書/同前)。文明6年行脚僧廻録によれば,「薩州之御持城和泉・山門・高小野・阿久根・河辺・山田・鹿児」とあり,島津用久の子薩州家国久の所領となっていた(旧記雑録)。天文8年島津忠良(日新)は,守護職を競望した薩州家実久(国久曽孫)を討って,当地を忠良の三男尚久に与えた。「上井覚兼日記」天正2年8月8日条によれば,鹿児で犯行に及んだ川辺の盗人が川辺で成敗されたので,鹿児地頭島津忠長(尚久の子)は川辺地頭平田宗張に贓物,または代物の引渡しを求め相論した。天正末年鹿児は喜入【きいれ】領主喜入季久の所領に加えられた。慶長10年以後喜入氏の私領となり幕末に及んだ。「三国名勝図会」によれば,「山之城〈領主館より北の方,二十三町余〉鹿籠村にあり,喜入季久以来の治所なり」とあり,また,山之城より亥子の方,10町余にある熊之城は山之城の別堡であるという。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461574
最終更新日:2009-03-01




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