ケータイ辞書JLogosロゴ 柏島村(中世)


鹿児島県>樋脇町

鎌倉期〜室町期に見える村名薩摩国入来【いりき】院のうち建長2年12月の入来院内村々田地年貢等注文に「くすもとひさくゝちニ 已上二十五丁四段卅内四丁ハかしはしま(柏島)にいまよりなる」と見える当地の地頭は初代の入来院地頭渋谷定心の末子範で,正嘉2年9月の薩摩国司庁宣によれば,入来院の半分所当米を塔原は重経が,中村・庄籠・下副田は重賢が,柏島水田半分は荒六(範)が負担している範は倉野氏を称し,倉野に所領を有したようであるが(入来院氏系図/入来文書),子孫は早くに衰微し,貞和5年閏6月23日の渋谷重勝譲状では,柏島4分の1は惣領家が所有し,重勝から虎松丸(重門)に譲られ,重門は「柏嶋村」を建徳2年に子息虎五郎(重頼)に,重頼は応永13年に子息菊五郎(重長)に,重長は応永30年に子息重茂に,さらに重茂の早逝にともない,嘉吉元年に孫菊五郎(重豊)に譲っている(入来文書)戦国期以後は史料に見えなくなる薩摩郡樋脇町倉野のうち,川内【せんだい】川右岸の字上大島・下大島付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461602
最終更新日:2009-03-01




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