ケータイ辞書JLogosロゴ 柏原(中世)


鹿児島県>鶴田町

 鎌倉期から見える地名。薩摩国祁答院のうち。正応元年8月11日付の渋谷行蓮(重松)から弟斑目聖蓮(泰基)への譲状に「祁答院柏原の内,河口の野并其内のあらひ新田〈弥源次入道作〉」とあり,「斑目兵衛入道聖蓮ハ,為舎弟上,異国警固の代官として,忠をいたすあひた」譲渡したものという(斑目文書/元寇史料)。次いで,翌正応2年9月5日には,聖蓮が孫三郎景泰へ「祁答院柏原内下河口田在家」を譲っている(斑目文書/鹿児島中世史研究会会報18)。その後,元応2年5月の新田宮雑掌重訴状案に柏原地頭代が見え(新田神社文書),「島津国史」の正中元年条の割註では斑目泰基を「柏原村」の領主としている。斑目氏が代々所領としたが,貞治5年11月26日付の沙弥禅匠譲状には「祁答院柏原名内平河村」とあり,当時の柏原名には平河村をも含んでいたことがわかる(大井文書)。翌正平22年(貞治6年)4月3日付の沙弥祖銛から斑目犬豊丸への譲状にも「祁答院時吉柏原両名之内下河口村・借屋原村」と見え,応永2年10月15日には平重朝が同地を斑目松熊丸に安堵している(斑目文書/鹿児島中世史研究会会報18)。以後,応永10年の島津元久から渋谷重頼への契状(入来文書),寛正5年の平徳重覚書(山崎文書/旧記雑録)などに見える。下って,文禄4年都城の北郷時久が祁答院地方に移封された時の柏原の高は1,678石5斗9升5合3勺とされている(御秘文雑集)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461603
最終更新日:2009-03-01




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