ケータイ辞書JLogosロゴ 柏原村(近世)


鹿児島県>鶴田町

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国伊佐郡鶴田郷のうち。村高は,「天保郷帳」1,678石余,「旧高旧領」1,761石余。村の鎮守は諏訪(南方)神社で,ほかに巨石を神体とする野母毛大明神祠,古紫尾大明神祠,渋谷一族である吉岡(後の祁答院)氏が宝治年中に勧請したという稲荷大明神廟,天台宗大願寺跡という薬師堂などがある(三国名勝図会)。天保13〜14年の川内川川さらえによって,川内川河口から大口曽木滝下までの舟便が開けた。鶴田の地頭仮屋から湯田原を経て,宮之城の湯田で川内川を渡舟で当村に渡り,川内川右岸沿いに小路・大願寺を経て,宮之城虎居で出水街道に接する道があった。「薩藩政要録」には,「諸所川渡船弐拾六艘 内壱艘鶴田柏原村川」と見える。「県地誌」によれば,戸数176,人口768(士族66・平民702),牛123・馬155,荷船5・渡船1。西部に新田溝・大願寺溝があり,中央部に戸長役場,東部に公立小学(柏原小学校)があった。また,物産には米・麦のほか甘藷・麻・粟・大豆・蕎麦・実綿・茶・葉煙草・楮皮などで,ほとんど皆農業を営み,舟乗業が6戸あった。明治22年鶴田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461604
最終更新日:2009-03-01




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