ケータイ辞書JLogosロゴ 鹿屋町(近代)


鹿児島県>鹿屋市

 大正元年〜昭和16年の肝属郡の自治体名。村制時の4大字を継承。シラス台地のため開発の遅れていた笠野原の近代的開発は,第1次大戦後の食糧自給という社会的要請を背景に,台地関係地主の組織する組合により行われた。笠野原水道が昭和2年,耕地整理事業が同9年に完成した。小作人を招致する笠野原移住招致組合も作られた。昭和2年昭和産業(鐘紡)が進出し,同6年ごろには現在の東原町・旭原町を中心に1,200町歩を買収し桑園経営と養蚕を行った。船迫・平和・桃木(東原町)・市大夫堀(旭原町)などは養蚕室従業員の住宅から発達した集落。同11年4月,鹿屋航空隊が佐世保鎮守府所属として木更津海軍航空隊と同時に発足し,日中戦争が起こると渡洋爆撃基地となり本土最南端の航空基地として重視された。特別攻撃隊の発進地として知られ,昭和20年3月11日から6月26日の間に828人の将兵が南方洋上で散華した。昭和15年の世帯数5,970・人口2万7,943。同16年大姶良村・花岡村と合併,鹿屋市の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461629
最終更新日:2009-03-01




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