ケータイ辞書JLogosロゴ 神河村(中世)


鹿児島県>大根占町

 鎌倉期〜南北朝期に見える村名。大隅国禰寝院北俣のうち。文永4年3月5日付の禰寝院村々置役事と題した沙弥道意置文に「禰寝院公事支配村々田数参十町内」として「郡本村八丁五反内〈鳥浜三反 神河五反〉」とある。次いで徳治3年3月10日付の島津荘大隅方に当てた島津荘留守沙弥某下文に「禰寝院鳥浜神河弁済使職郡本内平田間事」と見える(志々目家文書)。同下文によれば,鳥浜・神河弁済使職と平田は蓮仏から子息義秀に譲られたが,義秀が嘉元4年死去したため,その跡を欠所として晴義に宛行ったところ,義秀舎兄義隆の押領があったという。同下文では晴義の当知行が確認されているが,義隆の押領は地頭の権威を募ってなされており,背後には領家と地頭の争いがうかがえる。その後,元亨3年4月21日には藤原時義が嫡子亀寿に「禰寝院北俣郡本,鳥浜,神河,浜田,大姶良,志々目,横山地頭職」を譲っており,下って永徳2年9月22日には「大隅国禰寝院北俣内〈鳥浜村済分,同神河村弁分〉岩切孫四郎分」など「大隅国禰寝右馬助申本知行分」が今川了俊によって安堵されている(禰寝文書/荘園志料)。この間,天授3年11月21日付の禰寝院見作田畠目録注進状案には,郡本・浜田・大姶良【おおあいら】・志々女・横山と並んで「一 鳥浜神河 壱町壱段参杖 損壱段肆杖」とある(禰寝文書)。なお,鳥浜は江戸期以降,神川の域内となった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461644
最終更新日:2009-03-01




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