ケータイ辞書JLogosロゴ 上里村(近世)


鹿児島県>南種子町

江戸期の村名大隅国熊毛郡種子島【たねがしま】のうち種子島南東部,宮瀬川上流域に位置する東西12町46間・南北22町30間,惣廻り1里34町32間種子島氏の麓西之表西町より巳午(南々東)9里12町30間の所に仮屋があった(種子島方角糺帳)元禄2年の村高は163石余,人口89,うち郷士33(懐中島記)元禄9年の人家は23軒,1つの集落からなっていた(種子島方角糺帳)鎮守は上里神社祭神は豊受大神と最上肥前守最上肥前守は上里肥前守ともいい,天文年間,種子島忠時の家臣となり,上里村の地頭に任ぜられ聖山を居城にした村民は上里肥前守の徳をしたい,寛政7年に社殿を造営し,肥前守をしのぶと同時に五穀豊穣を祈った(南種子村沿革史・タネガシマ風物誌)寺院は法華宗慈遠寺末寺の善林寺(寺領高2石)があり,大同2年の創建で,種子島最古の律寺と伝えられる当村は石高・人口などが少ないため,役人は茎永村に加えて事務処理をしたこともあった(懐中島記)現在の大字茎永の一部なお,明治12年「県治弌覧概表」には1村として見える
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461655
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ