ケータイ辞書JLogosロゴ 上財部(中世)


鹿児島県>財部町

 南北朝期に見える地名。大隅国財部院のうち。暦応2年8月30日の禰寝清種軍忠状,同4年12月20日の畠山直顕挙状などに見え,建武3年から暦応2年にかけて当地の上財部城にたてこもった肝付兼重と兼重に与する猪俣新左衛門尉の軍勢と禰寝清種軍の間で合戦が行われている(池端氏文書/旧記雑録)。畠山直顕挙状には暦応2年正月の合戦で清種の親類平六兼安が弓に射られ右膝に疵を受けたことが記されている。また,「財部日光神社由緒帳」には,至徳3年12月13日に鴨守長が子息の下主【けさ】太郎に当地の日光神社の正祝職を譲与したとある。財部町南俣・北俣を中心とする地域に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461664
最終更新日:2009-03-01




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