ケータイ辞書JLogosロゴ 上知識村(近世)


鹿児島県>出水市

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国出水郡出水郷のうち。はじめ知識村に属し,寛永頃同村から分村。村高は,「旧高旧領」では2,252石余。米ノ津川を挾んで東接する六月田村の飛地(畠)が当村内にある。庄屋所は東端の八坊に置かれた。享保年間には平良川から引いた中溝・下溝の用水,および米ノ津(広瀬)川中流から取水した百万石溝が完成し,付近の水田化がすすんだ。鎮守は箱崎八幡宮で,同社は島津忠久が野田に勧請したものを,その後出水郷名護浦・六月田村を経て当村に遷座したと伝える。また,慶長5年島津家久によって出水郷の祈願所として再興された真言宗成願寺は,もと箱崎八幡宮や下鯖淵村の加紫久利神社の別当であった。そのほかに時宗専修寺があった(三国名勝図会)。なお,寺院は排仏毀釈で廃寺。「県地誌」によれば,戸数263・人口1,127(士族321・平民806),牛31・馬216,物産としては米・麦・粟・大豆・蕎麦・甘藷・煙草・茶など。明治22年上出水村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461668
最終更新日:2009-03-01




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