ケータイ辞書JLogosロゴ 上之木場(中世)


鹿児島県>知覧町

室町期に見える地名薩摩国知覧院のうち「山田聖栄自記」に「屋形(川辺に)御入部有而やがて知覧上之木場之城に入御候」とあり,また「上之木場は佐多殿さる謂れ候とて廿町御給候」とある(県史料集)応永27年「屋形」すなわち守護島津久豊が阿多・加世田・川辺などを平定するに及んで,それまで知覧にあって反抗していた今給黎久俊も,この勢いに恐れて,先に久豊に降っていた一族伊集院頼久を頼って降服を申し出た久豊はこれを許し,知覧上之木場城に入城したのである「佐多殿」すなわち佐多氏4代親久が知覧に「さる謂れ」があったとは,初代忠光が文和2年5月11日足利尊氏下文において「智覧院郡司四郎忠世跡」を勲功賞として与えられていたことをさすもので(佐多氏元祖忠光譜/旧記雑録),この由緒によって久豊は改めて親久に知覧上之木場20町を与えたのであるこれ以後知覧はおおむね佐多氏の所領として近世に及んだ上之木場の地名は現在の知覧町北部,すなわち大字郡【こおり】・厚地のあたりをさすもので,上之木場城はすなわち知覧城のことであろう城跡は町役場から南に約1kmの所にある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461685
最終更新日:2009-03-01




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