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- 河俣(中世)とは
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![]() | 河俣(中世) 戦国期に見える地名伊達【だて】郡小手郷,東根郷のうち天文14年5月2日の伊達晴宗知行充行状(関文書/県史7)に「一,河俣之内大つなき,一,遠藤藤五良分,此両所下置処候」とあるのが初見で,天文の乱の際に晴宗方に属した関帯刀が知行地を宛行われている戦国期のものと推定される熊野諸坊檀那注文(米良文書/県史7)には「伊達郡〈西根東根〉一円 実方院 内 小手郷 川又除」とある天文段銭古帳には見えない河俣は大綱木を含むことなどから広域地名で,中通り北部,現在の川俣町内の小手川と赤坂川の合流点付近一帯の汎称であったと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」