ケータイ辞書JLogosロゴ 給黎城(中世)


鹿児島県>喜入町

室町期から見える城名薩摩国給黎院のうち喜入町前文浜に城址が残る東は八幡川に臨み,北は水田に接し,他の二面を丘および深谷によってさえぎられた山城で,北側の突出台地を北之城,南側を南ケ城,中央は本城と称し,前端部に本丸がある伊作良道の次男平兵衛有道が給黎姓を称し,以来その子孫が居住したという応永19年,伊集院頼久の将中村但馬,野田某の守る当城を島津久豊が攻めているが,頼久の援軍が味方の寝返りによって落城までに2か月を要しているその後,一時蒲生宣清が領したこともあったが,明応年間,島津忠国の七男忠弘が入り,子孫は喜入氏を称した文禄4年に喜入氏は鹿籠山之城に移り,代わって肝付氏が入るが,肝付氏は便のよい海岸付近に居館を移し,当城は廃城となる(日本城郭大系)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461795
最終更新日:2009-03-01




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