ケータイ辞書JLogosロゴ 北村(中世)


鹿児島県>蒲生町

 戦国期に見える村名。大隅国蒲生院のうち。「箕輪伊賀覚書」には,弘治元年正月「蒲生ノ北村ニ有内通者,……慈ハ敗軍也」「慈ノ危キ北村ノ返忠トハ此事也」とあって,北村城攻めを強行した島津貴久軍の敗戦を記している。「蒲生郷土誌」によれば,蒲生氏3代清直の二男清則は北村二郎と号しており,北村城は蒲生氏一族北村氏が代々居城としたものとしている。清直は建久9年3月12日付大隅国御家人交名に名を連ねている(宮内社家文書/旧記雑録)。その後,「上井覚兼日記」天正2年11月9日条には,「北村之事,此前地頭職被下候,……次ニ者西浦之行司冨山名字之者にて候……次ニ北村牧之別当吉富名字之人にて候……次ニ北村名・米丸名両触役人之事」とあって,地頭比志島国真が市来【いちき】地頭へ転補するに当たり,所領等のことについて懇請しているが,これによると,当時の北村は近世の北村・米丸村・西浦村を含む郷のような広域地名であったと推定される。さらに同書天正4年8月18日条に「太守様御供衆,鹿児嶋・谷山・東俣・日置・永吉・宮里・長浜・曽於郡・喜入・蒲生・北村・郡山・帖佐・山田・河上衆・向之嶋・田布施・伊作,大方此衆歟」とある。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461802
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ