ケータイ辞書JLogosロゴ 木田村(近世)


鹿児島県>加治木町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国始羅郡加治木郷のうち。村高は,文禄4年6月29日の豊臣秀吉朱印知行方目録では大隅国加治木の内に太閤蔵入分として2,355石9斗6升8合(島津家文書2/大日古),寛文4年「郡村高辻帳」「天保郷帳」ではともに2,356石余,「旧高旧領」では4,243石余。なお,安永7年「三州御治世要覧」では3,740石余。元禄12年当時の庄屋は生駒喜左衛門(加治木郷土誌)。「加治木古今雑撰」によれば,宝暦年間の門数71。万治2年から灌漑のため,池田助右衛門が西別府川の水をその右岸に導く獺貫隧道および用水路の工事に着手し,寛文3年隧道120間を貫通させ,用水不足を補い当村の旱損は除かれた(県史)。西部の弥勒には,竜門司焼(小山田村)の名工芳工が天明6年から数年間開いた染付白磁の窯跡がある。「三国名勝図会」によれば,北部を流れる春日川にはアユを多く産し,その川原などでつくられるタバコは名品という。寺社には,真言宗岩屋寺,段土(反土)村大樹寺を寛永14年に移転し改号した曹洞宗長年寺,慶長15年の創建という同宗吉祥寺,堂之間の阿弥陀堂,網掛橋西部の網掛地蔵,岩屋観音堂,伊勢大神宮,弓箭八幡社などがある(三国名勝図会)。明治4年高井田村を編入。同14年「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」によれば,戸数481・人口2,162(士族1,316・平民846),鍛冶屋田に戸長役場があり,繰穴には明治12年設立の中福良小学校(教員3・生徒男32)がある。明治22年加治木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461805
最終更新日:2009-03-01




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