ケータイ辞書JLogosロゴ 京泊(中世)


鹿児島県>川内市

室町期から見える地名薩摩郡高城【たかき】郡のうち川内【せんだい】川の港名で今もなお地名は残っている上方(京都)との往来の船の泊まるところであったから,この名が生じたのであろう「応永記」応永18年の記事に,時の奥州家島津元久の軍が,総州家島津久世・忠朝を攻めるため川内を襲った時のことを,「京泊を焼払,坊泊・別府・市来の大船廿艘来て,朔日比之高塩に桾前の辺,高江の河縁に漕寄て可上」と記してあるこれが京泊の初見である次に年不詳11月2日付の島津忠治から入来院重聡への書状に「就祁答院重貴,網津,京泊知行其堺之時宜如何様哉」とあるこの頃祁答院重貴は勢をふるい,川内へも進出していたとみえるその後一時当地は祁答院氏の有に帰したが,のち東郷氏の領有するところとなり,元亀元年東郷氏・入来院氏が共に島津氏に降った時,東郷氏の手から島津氏に献納された「長谷場越前自記」に「高城・水引・中郷・西方・京泊まで義虎に被進」とあり,やがて薩州家島津義虎に与えられた
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461838
最終更新日:2009-03-01




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