ケータイ辞書JLogosロゴ 串木野町(近代)


鹿児島県>串木野市

 昭和10〜25年の日置郡の自治体名。村制時の5大字を継承。昭和10年の世帯数5,501・人口2万4,637。漁業は,昭和12年に竣工した串木野漁港を基地として,串木野独特の鮪延縄漁法で,40t足らずの木造船を使用し,季節により朝鮮・四国・宮崎沖・沖縄・台湾・三陸地方・北海道などで操業が行われた。串木野沖で帆走りするな,といわれるぐらい,その行動は勇敢で進取的であったが,日中戦争以来石油消費規正法の発令により,操業は窮屈となった。第2次大戦には動力船20t以上189隻,それ以下83隻,無動力船234隻計506隻の大部分が軍の徴用となり,帰還したものは数隻だった。昭和20年8月9日と12日,2回編隊による空襲を受け,下名の大原から本浦・浜町・野元・平江・島平地区の80%,2,500戸が焼失した。戦後の復興は鹿児島市に次いで早く,これは町当局が空襲必至と判断し,事前に家財の疎開を町民に呼びかけた結果といわれる。三井金属串木野鉱業所は第2次大戦前,従業員700余名,1日に500tの鉱石を掘り出すまでに発展,大正3年3月から日本最初の金泥式青化製錬法を採用したが,戦争のため,昭和18年休山。戦後24年11月復興し,串木野鉱山と改称。同25年市制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461873
最終更新日:2009-03-01




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