ケータイ辞書JLogosロゴ 口之島(近代)


鹿児島県>十島村

 明治41年〜現在の大字名。はじめ十島【じつとう】村,昭和27年からは十島【としま】村の大字。明治43年の戸数32・人口225,昭和7年の世帯数56・人口424(トカラの地名と民俗),同30年の世帯数108・人口548。明治41年徴兵制適用。昭和5年4月29日,十島村への小学校令の適用により,明治以来島の人々の手で支えて来た私立口之島小学校は,村立中之島尋常高等小学校口之島分教場となり,同14年には中之島青年学校口之島分教場を併設。同16年4月,中之島国民学校口之島分教場と改称。同17年,昇格して口之島国民学校となる。第2次大戦終結間際,海軍の監視哨を設置。特攻機の不時着が何回かあり,集落の一部は空襲を受けた。同21年2月,北緯30°線以南(下七島)はすべて米軍軍政下に入り,本土との交通は遮断されたが,北緯30°線が島の北端をかすめる口之島は,奄美方面からと鹿児島方面から「闇船」が来て,物資の交換・売買をするところとなった。同23年4月,口之島国民学校は口之島小学校と改称,同時に口之島中学校を併設した。同27年2月本土に復帰。同28年木造またはかやぶき校舎に代わって,初めて鉄筋コンクリートによる校舎を建設。昭和8年第1十島丸,同33年第2十島丸,同46年第3十島丸が就航,次第に交通の便はよくなったが,昭和35年をピークとして以来人口が流出。同51年十島丸の接岸施設が完成。同53年7月九州電力による24時間送電を開始。同54年口之島野生牛について名古屋大学などによる調査が行われた。同55年製氷工場を設置。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461893
最終更新日:2009-03-01




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