ケータイ辞書JLogosロゴ 倉野村(中世)


鹿児島県>樋脇町

 鎌倉期から見える村名。薩摩国入来【いりき】院のうち。建長2年12月の入来院内村々田地年貢等注文に見え,それによれば,倉野の総田数は21町20代(入来文書)。永仁6年7月20日の異国要害石築地配分案によれば,倉野は清色・塔原・中村などの半分の1丈9尺3分が割り充てられている(同前)。入来院は鎌倉初期は御家人千葉氏の所領であったが,宝治年間千葉氏が没落すると,相模の渋谷氏が地頭として入部した。初代の渋谷定心は,院内の村々を子息に分割したようで,倉野を与えられたと思われる末子範は倉野氏を称している(入来院氏系図/入来文書)。南北朝期には,倉野氏に代わり,豊田氏が現れ,貞和7年4月付の入来院倉野地頭豊田長寿丸代中木庭貞清着到状が残っている(同前)。ところが,一方,惣領家の所領としても「倉野村」が見え,貞和5年には渋谷重勝から「定円,重知跡闕所」として子息虎松丸(重門)に譲られ,さらに重頼・重長と相伝されていく。なお,永正2年12月吉日の八幡公事日取注文には,「四斗 くらのゝたこのまへのまこ九郎」と見える(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461921
最終更新日:2009-03-01




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