ケータイ辞書JLogosロゴ 小倉村(近世)


鹿児島県>川内市

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国高城【たき】郡水引郷のうち。江戸前・中期においては,当村と五代村を含む地域は「水引村」と呼ばれていたと思われ,「元禄郷帳」「天保郷帳」では当村名が見えず,水引村が見える。村高は「旧高旧領」587石余。庄屋には,安永9年若松八次郎,文政4年鬼塚貞助,天保8年小倉川底庄屋として花牟礼伝左衛門,弘化2年同じく小倉川底庄屋として小田原八左衛門などの名が見える(川内市史)。なお,花牟礼伝左衛門は天保7年五代村庄屋に任命されており(浜田氏文書),当村庄屋を兼務していたものと思われる。文政11年「薩藩政要録」では,水引郷内に当村名が見えず,天保14年「三国名勝図会」では,当村域は宮内村のうちと把握されている。ゆえに,水引村がいったん宮内村に吸収され,天保頃当村と五代村が宮内村から分村したものか(県地誌)。川内川河畔の低地は,干拓により開発された新田が多い。また,北部には永迫溜池があった(川内市史)。「県地誌」によれば,戸数215・人口1,020(平民のみ),牛73・馬72,神社3(八王神社・射勝神社・塩入神社),小学校は中央部にあり生徒数男23,物産としては米・麦・大豆・蕎麦・甘藷・煙草・茶・藺蓆・小海老・蜆貝・石灰など。明治22年水引村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462044
最終更新日:2009-03-01




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