ケータイ辞書JLogosロゴ 五大院田(中世)


鹿児島県>金峰町

鎌倉期〜室町期に見える地名薩摩国阿多郡のうち保延4年10月25日院主石清水権寺主下文によれば,新田八幡宮別当寺五大院の寺領田畠が阿多郡をはじめ各地に存在し(清水台明寺文書/旧記雑録),建久8年の薩摩国図田帳によって,44町8反あったことが知られる文保2年2月20日僧琳慶譲状によれば,「五大院内田地拾弐町・同池辺薗壱ケ所」が伊作氏に譲られた(阿多文書/同前)暦応6年1月5日沙弥覚受譲状には「阿多五大院水田北下四反,久留原六反,合壱町」があり,さらに同日付同人譲状には同じく「江田五反・河縁五反」とある(阿多郡史料)応永10年10月9日島津元久安堵状によれば,新田宮執印氏は「阿多郡内五代院」の領知が認められた(水引執印文書/旧記雑録)なお,応永13年7月16日同宛行状(同前)によれば,「阿多郡北方田布施内,除五代・高橋」とあり,伊作氏に与えられているが(伊作譜/同前),これによって五代(五大)が地名化していることが知られる比定地未詳
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462067
最終更新日:2009-03-01




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