ケータイ辞書JLogosロゴ 米之津(中世)


鹿児島県>出水市

 戦国期から見える地名。薩摩国和泉郡のうち。「上井覚兼日記」天正11年正月12日条に「徳淵(肥後国八代郡)より出船申候,和泉米之津へ着岸候」と見え,翌13日条には「米津にて手火矢ニ出候,それより軈て出船候処,又太郎殿入御候て仮屋にて御会尺被成,めし御振舞也,……やかて出船仕候,船元迄又太郎殿御座候て暇乞被成,それより蕨嶋に塩懸仕候,仮屋ニ憩候,めし振舞也,夫より阿久根ニ着船候」と見える。島津氏は天正9年相良氏を下し,翌10年には肥後に進出,八代を根拠として肥後経営を始めた。その八代から覚兼が一時帰国した時の模様である。米之津はこれ以前から港として使用されていたであろう。場所は現在天神社のあるあたりだが,干拓されて水田となっている。江戸期を通じ鹿児島藩領北端の港津として津口番所が置かれていた。なお,覚兼が米之津から出船して潮繋をした蕨島は,現在陸続きとなっており出水市の飛地である荘のうちに含まれる。かつては付近を通航する船が潮待ちをする島であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462089
最終更新日:2009-03-01




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