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坂井村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7462107]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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坂井村(近世)

江戸期~明治8年の村名小県【ちいさがた】郡のうち千曲川支流塩川沢川の下流域に位置する地名の由来は,古来飲用水を段丘崖の「七つ井戸」などから利用していたことによるものか元禄年間頃までに塩川村から分村して成立小諸藩領村高は,「元禄郷帳」294石余,「天保郷帳」534石余,「旧高旧領」281石余宝暦10年の領内村々人別帳(県史近世史料2-1)に,人数379(男205・女173・出家1)とある広大な平地塩川面の北端,段丘崖に沿って東西に細長く展開する集落の北,直下には18~15mの比高差をもって狭長な沖積地(これを井戸下面という)が存在し,さらに下は千曲川である南には条里水田が広がり,東は塩川沢川の浸食谷で区切られるが,その北東の沖積地上には坂井村・南方村の双方の協力開墾でできたと口伝の残る郷仕川原集落があるまた千曲川の対岸に飛地鍋谷窪がある集落はかつて段丘崖下の井戸下面にあり,寛保2年の千曲川の洪水を契機に現在地に移転したと伝えるが(上田小県誌),昭和41・61年の2度の発掘調査とも江戸期の遺構は発見されず,その主体は古墳時代~平安期で古い時代の出来事が誤って口伝されたものか寺社は,元禄16年の牧野康重新知郷村引渡証文(県史近世史料2-1)に,徒井明神・浄土宗恵光院・天台宗円融寺,ほかに竜蔵権現・薬師寺堂などが見える明治4年小諸県を経て長野県に所属同8年塩川村の一部となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

坂井村(近世)
江戸期~明治9年の村名遠江【とおとうみ】国榛原【はいばら】郡のうち牧ノ原台地の南東端,駿河【するが】湾岸釘ケ浦に面して位置する地名の由来は中世の荘の境【さかい】にあるというはじめ山内氏領,慶長5年幕府領,貞享元年駿河国田中藩領,宝永2年幕府領,同7年相良【さがら】藩領,天明7年幕府領を経て,文政6年相良藩領となる村高は,「元禄高帳」「天保郷帳」ともに66石余,「旧高旧領」65石余「遠淡海地志」によれば,産物は搗和布【かじめ】・荒和布【あらめ】寛政年間の戸数20(坂井村絵図/森田家文書)正徳年間すでに茶摘みが行われていた(森田家文書)「蕉園渉筆」によれば戦国末期高天神城をめぐる攻防で当村民は駿河国富士山麓に移住したが,のち帰村したのは30戸にすぎず,以来村民は困窮したしかし,海藻採取により富裕となり,その後も質素倹約を励行して勧農に努めたので戸数も以前の3倍となり,文政7年には藩主田沼氏に表彰をうけたという「風土記伝」によれば,曹洞宗釣徳寺,滝権現社がある安政元年の大地震によって釣徳寺門前に温泉が湧出し,万病に効験あると諸人があつまったという(相良史)明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属同9年法京村ほか2か村と合併して片浜村となる現在相良町大字片浜の通称地名として残る...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

坂井村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

坂井村(近世)
 江戸期~明治11年の村名...

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坂井村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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坂井村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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坂井村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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坂井村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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坂井村(近世)
江戸期の村名佐賀郡のうち八田江【はつたえ】と早津江川の中間に位置する佐賀本藩領川副【かわそえ】上郷に属す村高は,「正保国絵図」では201石余,「天明村々目録」では501石余,「天保郷帳」では357石余「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」では小村に野々古賀村がある「天明郷村帳」では当村と別に野々古賀は1村として見える大部分が蔵入地だが,「玄梁院様配分帳」では中野数馬26石余,「大小配分石高帳」には中野忠太夫35石の知行地がある寛政6年の村絵図では環濠集落で,中央に曹洞宗茲眼寺,西に天神社,寺の北西に蔵床と23戸の家屋が記載されている茲眼寺は明暦4年開基と伝える(曹洞宗由緒)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに南里村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,南里村のうちに「坂井村」と見え,戸数37・人口187...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

坂井村(近世)
江戸期~明治12年の村名蒲原郡のうち五十嵐川下流右岸地名は,中世の大槻荘と大崎保の境に村が成立したことによる戦国期から近世初頭に,下田盆地から平野部に流れ出た古い五十嵐川の分流沖積地に成立した村である元和2年三条藩領,同9年幕府領,慶安2年村上藩領,享保2年高崎藩領,宝暦2年幕府領,同13年高崎藩領,寛政12年幕府領,享和元年からは高崎藩領村高は,元和6年三条御引渡郷村帳に坂井かうやと見え59石余,「正保国絵図」210石余,「元禄郷帳」212石余,「天保郷帳」237石余用水組合は五十嵐川の下江組に属す文政11年の三条地震では,家数40余のうち18軒の潰家と7人の死者を出した(三条市史資料編3)助郷は三条町に出役明治12年同郡内に同名村があるため下坂井村と改称...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

坂井村(近世)
江戸期~明治9年の村名筑後国竹野郡のうち耳納【みのう】山地中央部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領寛保3年には淡川治右衛門が40石を知行(給知高帳)諏訪組に属す村高は,「元禄国絵図」40石余,「在方諸覚書」44石,「天保郷帳」57石余,「旧高旧領」62石余宝暦年間頃の役高は220石,庄屋は徳童村庄屋が兼任,久留米より5里(在方諸覚書)嘉永元年頃の作柄は,「右三カ村(坂井・上古賀・末次村),田方大凡6俵半・粟6俵」(廻村書留)文化4年の耕地は畑田10町余・畑6町余(農政農民史料集)水利は大石・長野水道氏神を祀る天満宮がある(寛延記)明治9年長栖村の一部となる現在の田主丸町長栖の一部にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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