ケータイ辞書JLogosロゴ 佐気和村(中世)


鹿児島県>佐多町

鎌倉期〜室町期に見える村名大隅国禰寝【ねじめ】院南俣佐多村のうち佐下和とも書く嘉元2年4月18日付の建部親明・沙弥しやうい連署沽却状案に「さけわのてんち四反大,ならびにさんやら」と見え,同年4月23日には「さけわの水田山野」の用途30貫文を請取っている次いで,翌嘉元3年3月18日,同年7月11日にも嫡子建部親明・沙弥しやうい連署で,「さたのむらもとゆきのミやうのうち,さけわ(のむら)」の水田・山野らを禰寝九郎に売却している禰寝九郎とは建部清政(沙弥日念)のことで,元弘3年11月4日付の日念譲状には「一 さけわのむらのうりけんをハちかあきら(以下欠)」と見え,この頃から,それまで元行名内とされていた当地は伊佐敷内と称されるようになっている日念以後は清光が相伝,建武元年には清光から益法師丸へ,応永9年には沙弥祐泉(角信俊)から嫡子清政へ,明応5年には建部清宣から孫犬鶴女へ譲られており,明応5年清宣譲状では「一 佐多村伊佐敷名之内鷺輪之村」と書かれているまた,この間元弘3年12月には「伊佐敷内佐下和村用作一丁五段」に対して伊佐敷又四郎が苅田狼藉・百姓追放に及ぶという事件が起こっている(以上,禰寝文書)佐多町伊座敷の北東部,下岩一帯に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462129
最終更新日:2009-03-01




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