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- 三郎丸名(中世)とは
「三郎丸名(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 三郎丸名(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える名田名常陸国南郡のうち弘安田文に別名として「三郎丸五丁」と見え(税所文書/県史料中世Ⅰ),嘉元田文でも同数値(所三男氏所蔵文書)常陸国総社の供僧領であったらしく,元徳2年10月23日の常陸国総社供僧快智譲状によれば,快智の「重代相伝名田」であった「三郎丸名上車田壱町内下堺仁よせて弐段」が養子徳房に譲与され,その後康永4年12月25日大春日盛家から養子清原師家に譲与されている(常陸国総社宮文書/県史料中世Ⅰ)なお年月日未詳の福戸・森木氏等知行分田地注文断簡に「福戸殿知行之分」として「一,三郎丸内 一丁 修理分」,「森木殿知行分」として「一,三郎丸内 二反半 一,三郎丸内 二反半 森木寺領」と見える(同前)現在の石岡市付近と思われるが詳細は不明 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三郎丸名(中世) 南北朝期~戦国期に見える名田名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」