ケータイ辞書JLogosロゴ 三拾町村(近世)


鹿児島県>姶良町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国始羅郡帖佐郷のうち。村高は,寛文4年の「郡村高辻帳」では637石余,安永7年の「三州御治世要覧」では1,491石余,「天保郷帳」では637石余,「旧高旧領」では1,171石余。明治14年の「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」によれば,田畑反別99町歩余,戸数130・人口541,うち士族82戸・335人,平民84戸・206人。神社は,新正八幡宮のほか,平山了清を祀った村社の若宮八幡,永禄6年の棟札がある大王社などがある。大王社の背後の山にある新城と呼ばれる城址は,戦国期に辺川筑前守が居城としたという(地誌備考)。山崎用水路がある。江戸期には盛んであった太鼓踊りと吉左右踊りは,歌詞のみが伝えられている。江戸期には,内門・迫田・三角・今村・馬籠・宮脇・小田原・有村・久保・奥屋・小池・千本・下村・市井川・茶園・古屋・蔵満・井ノ上・下水流・柿内・松枝・小迫田・下野・恒見・川畑・上水流・新上・仮屋・八幡田・長福・辻・中野・今村・馬渡・地福・川辺の36門があった(姶良町郷土誌)。明治22年帖佐村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462162
最終更新日:2009-03-01




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