ケータイ辞書JLogosロゴ 三体堂(古代)


鹿児島県>牧園町

 平安末期に見える地名。大隅国桑東郷のうち。応保2年4月2日付の僧信寂田畠譲状に桑東郷1条2里字竹原田6反の四至として「東限三体堂峰 南限三体堂田大縄 西限大河 北限三体堂峰」とあり,同じく桑東郷葦上村字古川園の四至として「東限主丸田 南限主丸田 西限三体堂田 北限三体堂薗垣根」と見える(清水台明寺文書/旧記雑録)。桑原郡の条里遺構復原の手がかりの1つとなるものであるが,譲状に見える個々の小地名の比定地は未詳。国分市上小川に「竹原田」の小字名が残るが,これは小河院内であり本来は曽於郡の境域内とみられ,桑東郷のものとしてとらえるのは難点がある。「郷土誌牧園町」はその四至記事から考察して,「三台堂の小字堂地」と「堂山の麓にある飯富神社の前にある田」を候補地としてあげ,後者について三体堂峰というのが堂山を指すと考えれば文の意味は合致するとしている。残されている解明の手がかりは主丸【ぬしまる】および一条から考察する方法で,松永に「一条」の小字名が残存していることは1つの手がかりとなるであろう。今日,隼人町に竹原田を名字とする家があるが,その系譜についても不詳。なお,中世に入って建久8年の大隅国図田帳に「桑東郷 主丸五丁 字紀新大夫良房所知」とあり(大隅桑幡家文書/鎌遺924),文永4年の主丸名主紀吉久奉免状に「主丸名内台明寺新田,地蔵講田壱町并竹原田陸段,両三方公事等事」とある。後者は正応4年の台明寺田注文の「竹原田五段〈主丸名〉」「地蔵講田一丁〈主丸名〉」と対応する。さらに永享3年の大隅国司庁宣に桑東郷内の断片の1所として「主丸竹腋三段六疋,同名三水尻三段六疋」と見える(調所氏文書恒房伝/旧記雑録)。以上の史料から,中世主丸名の領主は紀氏であること,桑東郷1条2里の条里記事を残す「竹原田」は主丸名内にあり,三体堂・葦上・古川薗・竹腋・三水尻・地蔵講田などの地名が近辺に存在することなどがわかる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462164
最終更新日:2009-03-01




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