ケータイ辞書JLogosロゴ 重富郷(近世)


鹿児島県>姶良町

 江戸期〜明治22年の郷名。大隅国始羅郡のうち。鹿児島藩島津山城殿私領。外城の1つ。当郷の成立は,元文3年島津継豊が,久しく絶えていた越前島津家を弟の周防守忠紀をその嗣として封内に再興したことによる。当郷は帖佐郷のうち平松・脇本・船津・春花の4か村と,鹿児島郡吉田郷の東佐多浦の一部を割いて触田村とした5か村からなる。重富郷と称したのは,越前国の旧領にある地名に拠ったともいい,また当地の古名を復活したともいう(地理纂考)。郷成立時の戸数・人口は,士族364戸・1,273人,足軽36戸・88人,中間3戸・7人,百姓141門・1,103人,浦人名頭113株・823人,寺出家7人,下男8人・下女8人(姶良町郷土誌)。御仮屋は平松村に置かれた。「薩藩政要録」によれば,平松・船津・春花・触田の4か村からなり,家中士惣人数567,家中士人体364,所惣高3,270石余,家中高863石余,寺高115石余,用夫91・浦用夫431。「要用集」では,領主島津周防,家中総人数736,家中士人体368,所総高3,754石余,家中高897石余・寺社高115石余,用夫335・浦用夫458。「薩隅日惣高并郡郷村調」では高4,293石余。「地理纂考」では高3,756石余,戸数916,人口3,717,うち士族1,404・卒195・平民2,118。明治4年鹿児島県,都城県を経て同5年鹿児島県に所属。大区小区制では第54大区に属し,4小区を編成。明治初期に春花村は船津村,触田村は平松村に統合。郡役所は加治木郡役所の管轄。戸長ははじめ各村におかれたが,のちに戸長役場が平松村に置かれ,3か村を管轄した。明治14年の「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」によれば,田222町歩余・畠224町歩余・宅地91町歩余・切換畑46町歩余,戸数985・人口3,779,うち士族421戸・1,409人,平民564戸・2,370人。同22年当郷3か村は重富村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462185
最終更新日:2009-03-01




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