ケータイ辞書JLogosロゴ 下小原村(近世)


鹿児島県>串良町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国肝属郡串良【くしら】郷のうち。「元禄郷帳」「天保郷帳」「三国名勝図会」では小原村として見え,「薩藩政要録」「旧高旧領」では上小原村・下小原村に分かれて見える。村高は「旧高旧領」によれば1,547石余。神社には村社万八千神社がある。言い伝えによると弘安4年元軍が攻め寄せたとき,万八千の大明神が,9万8,000の軍童子と化し,萩の弓,薄の矢で元軍をことごとく退治したことにより,はじめ九万八千大明神と称したというが,このことは記録には見当たらない(三国名勝図会)。祭日は2月初午の日(打植神事),6月29日(夏越神事),9月9日(祭礼神事),11月初午の日(武者舞の神事)。南部は豊穣な水田地帯であるが,その灌漑水の多くを下小原池にたよる。碑文によると「安永二癸巳始めて池の堤塘を築く。四十六年を経て文政元戊寅,再水道を造る検者松崎正蔵,郷士年寄町田新太郎,郡見廻永谷伊三右衛門,用水掛平山五右衛門,庄屋坂元善兵衛,其後四十四年を経て又三たび水道を造る矣」とある(串良郷土誌)。この下小原池による灌漑面積は50町余に及んだ。このほか甫木にも用水池があり,当村に灌漑水を提供し,近世において開田は大きく前進した。明治22年西串良村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462252
最終更新日:2009-03-01




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