しもたかうの(中世)
室町期に見える地名。薩摩国山門【やまと】院のうち。文安6年2月9日付の亀太郎丸への平能登守家教譲状に「一 はく路の事 しもたかうのに三反 なかせう路ニやしき四ケ所〈田四反〉」とあり,また「はく路しもたかうの山下一か所」とも見える(市来崎文書/旧記雑録)。この「しもたかうの」とは下高尾野のことである。なお,中世の下高尾野の地は山門院東方高小(尾)野のうちであったが,「旧記雑録」には内野々・横峯など地内の地名が山門院のうちとして散見される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462273
最終更新日:2009-03-01