ケータイ辞書JLogosロゴ 下財部村(近世)


鹿児島県>財部町

 江戸期〜明治22年の村名。日向国諸県【もろがた】郡財部郷のうち。ただし,明治5年大隅国曽於【そお】郡に編入。江戸初期には溝ノ口川(下財部川)中・下流域の溝之口村と,その他残りの地域に当たる下財部村の2か村から成っており,その影響が「元禄郷帳」「天保郷帳」等にも見られる。なお,溝之口村東部に当たる地域は郷士の居住の割合が高い。村高は,享保13年「大御支配次第帳」では2,142石余,「天保郷帳」では溝之口村として488石余,下財部村としては3村に分記され合わせて2,620石余,「旧高旧領」では2,446石余。寺社には,産婦の擁護に霊験多い如意輪観音像を安置する観音堂を有する臨済宗正寿寺,同宗大香寺,諸県郡内の諸村の産土神であり,霧島山四門のうち南門とされる沢田大明神社がある。なお,同社では2月10日の打植祭に農民が二手に分かれ鈎木引を行った(三国名勝図会)。明治5年財部郷内3か村それぞれに戸長が置かれた時,当村の戸長は大牟田弥七郎。「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」では,戸数349,人口1,691(士族626・平民1,065)。明治22年財部村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462280
最終更新日:2009-03-01




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