ケータイ辞書JLogosロゴ 下之村(近世)


鹿児島県>横川町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国桑原郡横川郷のうち。村高は,「天保郷帳」566石余,「旧高旧領」715石余。「三国名勝図会」によれば,南東部の城ケ崎に巌窟観音があり,「幽谷の中に少の平地あり高さ十丈許の大巌覆ひ……此巌地上より五六尺の所に阿弥陀の座像,薬師・観音の立像,三体を彫刻す,其工巧精致なり,其側に建武某年云々と記す……此村の一土民是を管轄し毎歳六月十八日来て花水を供すといふ,土民の口碑に往古は此辺に寺ありしといへり」と見える。明治10年西南戦争では,8月30〜31日中ノ村二石田から当村深川にかけての地域での戦闘において,両軍合わせて60名余の死者を出す。同11年中ノ村から教師が1名ずつ輪番通勤して,庄屋所役表座敷において教授を開始,同15年下之村小学と改称。同22年横川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462295
最終更新日:2009-03-01




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