ケータイ辞書JLogosロゴ 下名村(近世)


鹿児島県>姶良町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国始羅郡山田郷のうち。山田村が当村と上名村に分村して成立。なお「三国名勝図会」には山田村下名と見える。明治期には戸長役場が置かれた。村高は,安永7年の「三州御治世要覧」では1,205石余,「旧高旧領」では1,280石余。明治14年の「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」によれば,田畑反別109町歩余,戸数129・人口639,うち士族69戸・358人,平民60戸・281人。山田郷の地頭仮屋が置かれ,郷の中心であった。西田に野町があり,天明8年の野町人口は8人(姶良町郷土誌)。神社は貴船神社と安永3年建立の八坂神社がある。寺院は真言宗の宝殊山勝高寺正田院と,時宗の端竜山東光院来福寺があった。江戸期には,城光寺・東・瀬戸・下薗・小坂・新薗・仮屋・増田・田中・富田・上ノ・下ノ・水流・小城・窪園・木ノ下・南園・白坂・青手木・北ノ迫・酒屋・宇都・出口・楠木園・福重・外園・内園・溝上の28門と,今村・吉永・内村の3屋敷があった(姶良町郷土誌)。明治22年山田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462305
最終更新日:2009-03-01




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