ケータイ辞書JLogosロゴ 下名村(近世)


鹿児島県>鹿屋市

江戸期〜明治13年の村名大隅国肝属【きもつき】郡鹿屋【かのや】郷のうち大隅半島中央部,肝属川上流部のシラス台地上に位置する「鹿屋名勝志」には,当村を3方限に分け,田崎方限は「先年者田崎大園村と相唱候由申伝候何年頃より田崎方限と相成候儀書留等無御座相知不申候」とあり,同じく川西方限は田崎本村,川東方限は「田崎大園村田崎本村之内」と見える「諸郷村並浦附」「薩藩政要録」「旧高旧領」「地理纂考」では下名村,「元禄郷帳」「天保郷帳」「三国名勝図会」には田崎本村と見える村高は「天保郷帳」では1,062石余,「旧高旧領」では3,141石余七狩長田貫神社は鹿屋郷の惣鎮守で,祭神を京都賀茂神社と同じくし,永正元年大願主を伴兼明とする社殿造立の棟札があり,別当寺は真言宗神宮寺であった(三国名勝図会)穂山(現川西町)には郷の仮屋からきた諸要件を各門に布令を出す役所があり(鹿屋町郷土史),「鹿屋名勝志」に「庄屋仮所之下,歩橋一ケ所,下名村之内」とある庄屋仮所にあたると思われる明治13年田崎村と改称(県史政治部県治)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462311
最終更新日:2009-03-01




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