ケータイ辞書JLogosロゴ 末次名(中世)


鹿児島県>吾平町

鎌倉期〜戦国期に見える名田名大隅国姶良【あいら】荘のうち建治2年8月の大隅国在庁石築地役配符に姶良荘50町のうちとして「末次八丁〈八尺〉名主平太夫入道」とあるのが初見で,当名の名主平太夫入道が8尺の石築地役を負担している(調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)弘安10年7月の宮侍守公神結番次第では5番として「姶良末次 蒲生西役(俣カ)三郎 大宮司」とある(同前)南北朝・室町期にも姶良荘内の名として史料に散見し,永享8年8月3日の島津忠国宛行状では「末次名五町分」が禰寝重清に安堵されている(忠国公御譜/旧記雑録)戦国期には文明5年6月の田代道清申状に「末次之内五町」と見える(田代家文書/県史料拾遺)「管窺愚考附録」所引の得丸氏系図によると,姶良荘の開発領主平良宗の孫良包の第4子宗清が当名の名主となり,その後,宗房―宗友―宗茂―宗世―宗直と相伝されたことがわかる(県史)吾平【あいら】町下名に末次の地名が残る
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462385
最終更新日:2009-03-01




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