ケータイ辞書JLogosロゴ 住吉名(中世)


鹿児島県>姶良町

 鎌倉期〜戦国期に見える名田名。大隅国帖佐郷のうち。建治2年8月日付の大隅国在庁石築地役配符に帖佐西郷の公田143町5反のうちとして,「住吉十三丁九段半〈加神田宮吉定,除貢進田五反〉定十三丁四反半〈一丈三尺四寸五分〉弁済使平佐近入道円仏」とあり,弘安年間頃の守公神侍畳図にも,住吉の名が見える(調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)。次に康安元年7月日付の正八幡宮領帖佐村供田坪付注文に,「すみよし一反,廿一日高城殿用作云々」とあり(旧記雑録),また長禄4年壬9月26日付の正八幡宮神領坪付に,「四反〈てうさ〉すミよした,しんにうてん不知行」とある(国分宮内沢氏文書/旧記雑録)。ながく大隅正八幡宮領であったが,やがて戦国期以降は島津氏の支配するところとなった。永禄13年2月吉日付の興国寺領坪付に「隅州帖佐郷之内,一住吉名平之薗門……已上一町一段十」とあり,住吉名の一部を,島津義久が鹿児島の興国寺へ寄進している(義久公御譜/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462396
最終更新日:2009-03-01




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