ケータイ辞書JLogosロゴ 諏訪方村(近世)


鹿児島県>末吉町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国曽於【そお】郡末吉郷のうち。慶長以前は東部の西之村と中西部の蔵町村の2か村に分かれていた(末吉郷土史)。村高は,「天保郷帳」では西之村として1,243石余,蔵町村として1,482石余,「旧高旧領」では3,098石余。また,天保10年の門数90(末吉郷土史)。庄内の乱ののち,慶長5年以降村山川南岸にあった末吉城(亀鶴城・松尾城)付近の犬馬場・湯之尻などに,菱刈・高山をはじめ藩内各地から移住してきた郷士が住みつき,末吉郷の麓が形成される。元和年間城内に9の丸を持つ末吉城が壊され,地頭仮屋が田村に設置され,田村から中原にかけて野町も形成された。その後,宝暦5年地頭仮屋が二之方村荷原に移転されると,麓・野町も二之方村へと移動した(末吉郷土史)。寺社には,光福寺・諏訪大明神社・伊勢大神宮・五位大明神社がある(三国名勝図会)。なお,寺院は排仏毀釈で廃寺。白毛の西方に「かんじん墓」があるが,これは川床(現大隅町)で勧進僧が急死した後の面倒を恐れ白毛に持って来て葬ったものという。しかし,川床で不詳事が続くので勧進僧の霊を川床に祀り,今は馬頭観音となっている(末吉郷土史)。明治12年諏訪小学校が中原に末吉小学校から分立,同20年諏訪簡易小学校となる。「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」では,戸数426,人口1,868(士族800・平民1,068)。明治22年末吉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462405
最終更新日:2009-03-01




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