ケータイ辞書JLogosロゴ 瀬々之浦村(近世)


鹿児島県>下甑村

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国甑島郡甑島郷のうち。文化7年の家数210軒,うち内ノ河内20余軒(九州東海辺沿海村順)。内ノ河内は瀬々之浦からの移住者が尾岳連峰の中腹を開拓した所である。村高は「旧高旧領」によれば160石余。神社には神功皇后を祀る大多羅姫宮と矢房大明神祠があった。明治13年瀬々之浦小学が開設,同20年瀬々野浦簡易科小学校となり,同26年西山尋常小学校と改称した。また明治21年内ノ河内において寺子屋式の教育が行われ,翌22年高知復習所,同33年西山尋常小学校の高知仮教場(内川内小学校の前身)となった。明治22年下甑村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462417
最終更新日:2009-03-01




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