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- 千本村(近世)とは
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千本村(近世) 江戸期~明治10年の村名加茂郡のうち佐渡ケ島北西部,外海府海岸の入川右岸村名は,至徳元年漁師が沖合いで引きあげた薬師十二神像を,明徳2年当村の入崎浜に千本の塔婆を立てて祀り,雨乞の法を行ったことに由来(薬泉寺縁起書)当村は入川村の出作百姓万四郎が開いたと伝える幕府領村高は,元禄7年検地帳272石余,「天保郷帳」274石余元禄7年検地帳では田234石余・16町余,畑38石余・4町余,御林2・雑木林6・雑木山1・秣場1・廟所1「巡村記」によれば,天保12年の家数41・人数245,高274石余,田15町余・畑6町余,取米77石余,寺社は真言宗薬泉寺,薬師堂,八幡宮・十二権現明治10年高千村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
千本村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」