ケータイ辞書JLogosロゴ 千加尾(中世)


鹿児島県>郡山町

平安末期から見える地名薩摩国満家【みついえ】院のうち承安2年12月8日付の入道西念譲状に「(薩)摩国満家院内限四至字八郎大蔵義平処分事」とあり,その四至を「東限由須乃木乃中尾大路 南限土土呂木限満家迫 西限面松并結松行元頂乃藤山 北限千加尾峯頂」としている(比志島氏文書/旧記雑録)南限に見える「土土呂木」については,「とどろぎ」の地名が郡山町には2か所あり,1つは郡山町油須木地内に,1つは同町西俣の小字平原付近に「とどろぎ滝」がある前記「土土呂木」は後者であろうとすれば四至の北は山岳地帯になり,満家院の境は八重岳であるが,これは「ちかお」とつながらず,その西にある上宮岳が「千加尾峯」にあたるだろう郡山町嶽の小字神之園に鎮座する熊野三社権現はもと上宮岳山頂にあったというまた,「伊集院由緒記」によれば,智賀尾六所権現が伊集院内嶽村の餅川上の岡に鎮座したとされており,同社は「三代実録」にも見える古社であるが,中世には熊野神社であったまた,建長3年2月比志島氏の祖法橋栄尊が西俣名のへむき山に草堂を造ろうとして満家院収納使に差出した書状(比志島文書/旧記雑録)に「さうたうをこんりうつかうまて,念仏のたよりにもし候ひ,又他領いすゐんにいわひたてまつるこんけんに,ちかをのうらの料田を御きしん候事も,しかるへからさる間云々」とあるこの「こんけん」は智賀尾六所権現のことである延応2年8月22日栄尊の母菩薩房とその妹生阿陀仏は西俣名の内八世居(井)浦田畠を誓尾六所権現をあずかる石谷阿闍梨に寄進しているが(比志島文書/旧記雑録),八世居浦は前記寄進状に記載されている四至からみて神之川上流の小字門貫・木場田・平原のある附近で,郡山町嶽の小字餅川の裏にあたる「ちかをのうら」とは八世井浦などを指したものと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462633
最終更新日:2009-03-01




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