前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 中郷(中世)とは

「中郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

中郷(中世)


 平安末期~戦国期に見える郷名...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7462639]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
中郷(中世)

 鎌倉期から見える地名

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
鎌倉期に見える郷名摂津国河辺郡生島荘のうち現在の尼崎市栗山・大西町1~3丁目と隣接する水堂町1~4丁目・七松町1~3丁目を郷域と想定できる生島荘にあって富松郷と浜郷の中間に位置したことから郷名が付けられた年未詳の諸御領仏神事役等注文に「生島庄 浜郷・富松郷 已上春日四季御八講料所ニ被宛置之,中郷 大慈恩律寺ニ御寄附之間無他役」とある(九条家文書5/図書寮叢刊)正応6年3月17月付九条家文庫文書目録には「一合 生島中郷〈大学寺殿仰新三位局〉」とある(九条家文書/鎌遺18125)九条家領生島荘の一部であったが,鎌倉期に京都八条東洞院の大慈恩寺に寄進された前掲の正応6年目録には,永正13年10月21日付の九条尚経の花押があるから当郷の経営は戦国期まで続いたことがわかるなお江戸期の明和2年浜田川水利立会絵図に浜田川あるいは難波井筋と呼ぶ用水の取入口に「中ノ郷井口」と書かれている所がある(浜田区有文書)宝暦12年の浜田村西難波村水論書写に「一,西難波村之用水と申ハ,中之郷井と申て水上ハ守部村之田地悪水抜より流出,水堂村領内を通り,西久保裏せき之下へ落,小路村南中之郷井口と申所ニ砂せきいたし,十文字樋下之樋より七松領内を通り,西難波村田地養申候」とあるが(同前),この中之郷井は戦国末期まで中郷に含まれていた水堂村・七松村の用水路であったと考えられる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
 南北朝期から見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
鎌倉期から見える郷名遠江【とおとうみ】国浜名郡のうち猪鼻湖北岸に位置する地名は,浜名神戸の中心であることによるという(浜名史論)文永8年5月25日の伊勢神宮祭主下文(公文抄)に,「遠江国浜名神戸中郷刀禰並御神酒鎰取高屋弘近雑怠替職」とあるのが初見本宮神主小長谷光が,高屋弘近に替わって当郷刀禰並御神酒鎰取に補任されているついで,鎌倉末期のものと推定される大福寺諸堂建造記(大福寺文書/県史料5)に,正応2年の本堂柱立に加わった鍛冶として当郷の惣大夫の名が見えるまた,寛正2年に上棟した大福寺不動堂の建立記(同前)により,当郷住の賀茂殿が同寺不動堂建立のため銭300文を寄進したことが知られる文明14年6月の浜名神戸検畠日記(神宮文庫本宮司吉書/浜名史論)によれば,当郷の畠地は6町であったまた,天文17年8月の大福寺領田地注文(大福寺文書/県史料5)によれば当郷の同寺領田地は4町余であった天正18年12月26日には,豊臣秀吉が神明宮と金剛寺に郷内津々崎の地を寄進している当地は慶長14年に三ケ日【みつかび】と改称された(浜名史論)...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
鎌倉期に見える郷名筑後国三潴【みずま】郡のうち永仁4年12月の玉垂宮大善寺仏神事注文写(隈文書/鎌遺19238)に「廻廊畳八十帖内支配事……十六帖東郷村庄地頭名主役〈但夜明村除之〉廿四帖西郷村同前十帖中郷村同前」「廻廊四十間内支配事 八間東郷村庄地頭名主役〈但夜明村除之〉十二間西郷村同前 五間中郷村同前」と見える三潴荘鎮守玉垂宮の廻廊畳80帖のうち10帖,廻廊40間のうち5間が中郷村在住の地頭名主役として課せられている事を示している中郷村は中郷に属する村々の意味で,三潴郡内を東・西・南・中4郷に区分していたようであるこれらの郷名は他の史料には見えないので,玉垂宮神役勤仕のための便宜的な呼称であろう東郷と西郷の間の郷と解されるが所属する村名については記す所がないただ,江上・大依・高津3村は,同文書に東郷とも西郷とも記されており,両郷の中間に位置しあるいは中郷に属したのかもしれないそうだとすれば現在の城島町の一部が中郷に属していたことになるが,具体的な比定地については未詳...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
戦国期に見える郷名尾張国春日部郡のうち文明9年から天文22年までの円福寺寄進田帳(円福寺文書/春日井市史資料編)に,寄進田の公方年貢などを中郷(中政所・中郷代官とも記す)へ納めることが記されており,その寄進田の坪付として松口,マムシツカナハテ,平河,出川(現春日井市出川町),足振島(同市気噴町),嶋之後河之ソハ,大留権内田(同市大留町),こうれん(同市気噴町),本荒井山ソハ,三位田などがあるまた,文明6年以前から天正7年までの定光寺祠堂帳には,中郷の地名として馬場添,小路,紺屋垣,羽称がある(定光寺文書/定光寺誌)上郷・下郷の比定可能な地名とあわせて考えるならば,内津川左岸上流から庄内川との合流点へ順に上郷・中郷・下郷と呼ばれていたと推定できるただし,付近には水野中郷も存在しており,史料に見える「中郷」が全て内津川左岸を指すかは未詳...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
 鎌倉期~室町期に見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
戦国期に見える地名伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡蚊屋荘のうち天正19年12月20日伊勢大神宮神田注文(蚊屋島神社文書/県史2)に,神田の所在地として「〈中郷分九反田内水江〉田三反事」「〈九反田の内中郷分〉田畠半十歩」「〈中郷分田の内ナリ〉畠半七十歩」などと見える下郷に対応する地名で,旧巌村のうちと推定されるが,今その所在を明らかにすることはできない...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
鎌倉期に見える郷名尾張国中島郡のうち弘安7年閏4月晦日,浄胤は中島郡賀野御厨土取郷内の荒野1町2段を性海寺へ寄進したが,その四至に「限南中郷」と見える(性海寺文書/稲沢市史資料編7)現在の尾西市内に比定されるなお,戦国期の「信雄分限帳」に「一,百五拾貫文〈中郷内〉岩室十蔵」「一,百五拾貫文〈中郷内〉入谷甚八郎」と見えるが,当郷との関係は未詳...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中郷(中世)
室町期に見える郷名安積【あさか】郡のうち室町期頃と推定される安積南郷北郷田地注文(相殿八幡神社文書/県史7)に「中郷」のうちとして河内・大槻・中谷田・松井・富田・上大島・下大島・窪田・郡山・中村・福原・舟津・八俣など13か村89町5反の田地が記載されている中通り中部,現在の郡山市大槻町・富田町を中心とするあたり一帯に比定される...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
420曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『逓信記念日、女子大の日』

1901(明治34)年、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学しました。

今日の暦

月齢:11

月齢:11
月名(旧歴日):十日余りの月(とおかあまりのつき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・20日
・土
・Saturday
・友引

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>1日「
立夏<
・a>」まで<
・font>15日


JLogos Now!!