ケータイ辞書JLogosロゴ 帖(中世)


鹿児島県>志布志町

 室町期に見える地名。日向国のうち。応永17年2月18日付の島津玄喜(久豊)安堵状に「日向国内倉・帖事」と見え,内倉豊前介に安堵されている(久豊公御譜/旧記雑録)。当地には志布志城・宝満寺などがあり,救仁院の中心であったと推定される。なお,当地南部,陣岳北西麓の益倉集落はすでに正平14年正月11日付の伴基栄の志布志大慈寺宛寄進状に「日向国救仁院志布志条内 夏井 益倉村事」と見えており(肝付兼氏伝/同前),小字向河原についても貞治5年2月18日付の宝満寺長老宛島津氏久書下に「宝満寺之領臼(向)河原〈上下〉事」と見えている(志布志宝満寺文書/同前)。宝満寺の境内については正和5年11月3日付の沙弥蓮正打渡状に「日向方嶋津御庄志布志津大沢水宝満寺敷地四至境事」として東は深小路大道,南は経峰,西は河(前川),北は天神山後堀とあり(同前/同前),この境域は明治の排仏毀釈まで大きな変動はなかったという(志布志町史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462645
最終更新日:2009-03-01




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