ケータイ辞書JLogosロゴ 帖村(近世)


鹿児島県>志布志町

 江戸期〜明治22年の村名。日向国諸県【もろがた】郡志布志郷のうち。宝暦・天明の頃12門を有する農村部が帖村として志布志村より区分される。宝暦11年の帖村家内45・男女204人・石高361石(志布志肝付文書)。天明3年には郷士の居住する麓と合し,野町・浦の町畠村と分立(志布志記)。村高は,「旧高旧領」では1,644石余。地頭仮屋を中心とする麓には志布志郷郷士の過半数が居住し,役職の無いものは農耕以外に製造業にも従事し,大工・船大工・左官・鍛冶などは郷士の仕事であった。国境の間道には川原田・田床の辺路番所が置かれていた。前川左岸に曹洞宗永泰寺・律宗宝満寺,上流に真言宗大性院丈陸寺があり,地頭仮屋の東側に持統天皇を祀る若宮神社があった。明治4年町畠村を併合するが,同12年町畠村は再び志布志町として分離。「日向地誌」によれば,戸数1,262(士族269・平民990・寄留1・社1・寺1),人口5,532(士族1,178・平民4,354),牛202・馬689。明治6年地頭仮屋に7番小学校,同7年に7番小学女子校と町畠に8番小学校,田床に22番小学校が開設され,同8年にはそれぞれ志陽小学校・明浦小学校・田床小学校と改称。同17年女子校と明浦小学校を廃して志陽小学校と合併,校名を南陽小学校とする。同19年田床小学校を廃する。同22年志布志村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462646
最終更新日:2009-03-01




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