ケータイ辞書JLogosロゴ 築地村(中世)


鹿児島県>菱刈町

鎌倉期に見える村名大隅国菱刈郡のうち嘉元3年9月26日の鎮西裁許状写に「同(大隅)国菱刈郡久富名内田畠屋敷并築地村及与(ママ)桑田代村」と見え,その知行をめぐって薩摩国御家人莫禰勤行の養女平氏と大隅国御家人曽木五郎宗茂との間に相論が起こっている(曽木文書/大宰府太宰府天満宮史料9)同裁許状によれば,相論は平氏女の勝訴となったが,当村の本領主は慶阿(曽木入道)なる者で慶阿の息女姫若に譲られたが,その後,弘安5年8月15日に姫若から夫の曽木勤行が譲得,さらに養女平氏女に相伝されたものであったという川内【せんだい】川流域,現在の菱刈町の中央部に位置し,同町川北に残る集落名築地に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462657
最終更新日:2009-03-01




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