ケータイ辞書JLogosロゴ 筒羽野村(中世)


鹿児島県>吉松町

鎌倉期〜南北朝期に見える村名大隅国のうち建久8年の大隅国図田帳に「筒羽野四十八丁五段一丈〈件村者,筥崎浮免田以四十余丁,押募十五丁,残不随国務,恣弁済使私用之〉」とあるのが初見次いで建治2年8月日付の大隅国在庁石築地役配符にも「筒羽野村四十八丁五段一丈〈四丈八尺五寸二分〉」と見える(調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)その後,観応元年6月24日の上書のある島津荘大隅方寄郡田数注文に「筒羽野村 四十八町五段一丈〈島津大隅式部小三郎義久拝領建武二年二月日〉」とあり(道鑑公御譜/旧記雑録),建武3年4月10日には島津貞久(道鑑)が東条藤次郎入道道悟に「筒羽野村半分代官職」を宛行っている(都城士東条利右衛門家蔵文書/同前)以後,延文元年8月6日付の足利義詮下文,貞治2年4月上旬の島津氏所領注文などに,道鑑の所領として見え(道鑑公御譜/同前),貞治2年4月10日付の道鑑譲状で氏久に譲られているが(氏久公御譜/同前),室町期以降には当村名が見えず,戦国期には吉松と称されるようになっている(三国名勝図会)なお,「真幸院記」によれば,永徳元年8月25日付の光照院蔵筥崎八幡宮鐘銘に「奉施入釣鐘一口 大隅国筒羽野村」と見える(県史料拾遺)また,吉松町南方神社に伝わる「諏訪御由来之絵縁起」に「于時天文十二年癸十月八日 大隅国筒羽野村於新山寺 諏訪御由来之絵縁起書之 絵師 迫田采女正酒井宗清 右筆下権少僧都 聖誉 右此絵縁起本願主手代太輔同助七 又奉賀人名 当所代官青山豊前守藤原照続 新蔵場□□ 石川常陸守同七郎左衛門尉 吉松民部少輔 諏訪祝 次郎大輔 新山寺光全」とその名が見える「三国名勝図会」によると「吉松 本府の東北十四里余にあり,地頭館鶴丸村にあり,当邑往昔は筒羽野といふ,一旧説に,吉松の地は,いにしへは,日向国に属して,真幸院に係る」とある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462669
最終更新日:2009-03-01




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