ケータイ辞書JLogosロゴ 鶴王丸名(中世)


鹿児島県>川内市

鎌倉期〜室町期に見える名田名薩摩国宮里郷のうち延慶2年12月12日付の鎮西下知状の中に「宮里郷鶴王丸名 名主草道大□正平」とあるのが初見(新田神社文書)草道正平とは宮里郷司家の庶流と思われる次いで応長2年6月17日付の武光師兼から子息兼正への譲状に「鶴王丸名内一房薗壱所」とある(入来文書)鶴王丸とはおそらく宮里郷司家の人の童名かと思われる鎌倉末期に入って,この地に武光氏が触手をのばし,その一部を獲得したもののようであるその後観応2年8月18日付の権執印良暹から子息俊正への譲状に「宮里郷 鶴王丸名免田,中腹帯六段并志奈尾東部壱段」とあり(新田神社文書),鶴王丸名は川内市宮里町の字絵図に床並があってそのうちと思われ,志那尾東部とは小字志奈尾田の一部であろう中腹帯は小字名に残っていない中腹帯をいかに読むべきかについては,長禄4年3月22日付の沙弥浄任から子息五郎次郎への譲状に「薩摩国宮里郷 下二郎丸名之内之事……みやさとのなかはるひしも五反うち一反」とある(入来文書)この「なかはるひしも」は「中腹帯下」であろう
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462687
最終更新日:2009-03-01




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