ケータイ辞書JLogosロゴ 寺脇村(近世)


鹿児島県>伊集院町

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国日置【ひおき】郡伊集院郷のうち。村高は天明8年で523石余(由緒再撰調),「天保郷帳」では513石余,「旧高旧領」では528石余。門数は天保期で5(伊集院郷土史)。村の北方山手にある横手山円福寺は後に臨済宗伊集院広済寺の末寺となり,伊集院忠国(贈従三位)夫妻や広済寺7世雪岑らの墓碑がある。「県地誌」によると,戸数67,うち士族7・平民59・社1,人口285,うち士族36・平民249。全戸農業で,牛19・馬24,農産物は米132石・粟66石・大麦25石・小麦12石余・甘藷5万9,400斤。出水街道とも称し国道3等に属す九州街道が南部を通り,寺脇坂を西に上って苗代川村に至る。この間,長さおよそ7町。里道1等に属す郡山別往還が大田村との境大渡橋西袂より分かれて北上し野田村に通ずる,その長さ12町。往古からの道路である。明治22年下伊集院村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462707
最終更新日:2009-03-01




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