ケータイ辞書JLogosロゴ 塔原(中世)


鹿児島県>樋脇町

 鎌倉期から見える地名。薩摩国入来【いりき】院のうち。塔原名・塔原郷・塔原村ともいう。当地は鎌倉初期までは,塔原名といわれ,名主として寄田氏が勢力をもっていた。寄田氏は薩摩国の有力在庁伴氏の一族であり,伴信房のときは,一時入来院の弁済使職を保持し,建久8年の薩摩国図田帳では姻族の在庁種明(大蔵氏)が入来院公領弁済使分55町の本地頭として見える。おそらく,本宗から塔原を分割され,塔原名主を称したのであろう。鎌倉期は,当初,惣地頭として補任された千葉常胤の下では,名主職を安堵されるが,その子息秀胤の代には,一時それを改易されたようである。ところが,千葉氏の没落で,宝治年間,相模の御家人渋谷定心が地頭に補任されると,伴信俊・信忠・信資の寄田一族は起請文を定心に提出し,名主職に還補されている。名主職を還補された寄田氏は,その安定的な確保を図ろうとしたと思われるが,渋谷氏の入来院支配が強化される中で,両者の対立は深まり,名主職の進退権をめぐって,定心と塔原名主寄田弥太郎信忠の間で相論が起こり,建長2年4月28日には,定心の名主職進退権を再確認する関東裁許状が出されている(入来文書)。同年12月の入来院内村々田地年貢等注文によれば,「たうのはら村」として見え,42町9反余の田地が把握されている(同前)。その後,寄田氏の動向はよくわからないが,嘉暦3年12月21日の渋谷惟重遺領注進状案に「楡木田(塔原郷のうち)但,此内弐町者,名主押妨之間沙汰最中也」と見え,鎌倉末期まで,名主職を維持していたようである(同前)。渋谷定心は建長5,6年に他界するが,塔原の地頭職は寺尾氏の祖となる次男渋谷重経に譲られ,建長7年6月5日には,相模国吉田上荘(渋谷)内寺尾村とともに安堵され(同前),以後,塔原は寺尾氏の所領として相伝されてゆく。ところで,当地に鎌倉期所領を所持していたのは渋谷氏・寄田氏の他に武光氏がいる。応長2年6月17日の武光法忍(師兼)譲状には「入来院塔原内南部村并弥毛原村」が見え,一期の後,太郎兼長に譲ることを約した上で,嫡子弥三郎経兼に譲られている(武光文書/入来文書)。武光氏は本姓伴氏で寄田氏と同族であり,鎌倉期には,高城郡司職,同郡弁済職,吉枝・武光名主職などを保持していた。おそらく,この所領は,寄田氏と同様に入来院弁済使伴信房以来のものと考えられるが,鎌倉末期には,実質があったか疑問である。もどって,寺尾氏の相伝関係をみておく。建長7年に塔原を幕府より安堵された重経は建治3年9月13日には法名定仏の名で譲状をつくり,重通に当郷地頭職を譲り(入来文書),弘安元年6月3日の将軍家政所下文でそれが安堵される(同前)。ところが,重通と異腹の兄弟である重員(為重)は嫡子と称し,定仏の遺領をめぐって相論が行われるが,最後には重通が勝訴し,塔原は重通の系統が相伝してゆく(同前)。正中2年6月の渋谷別当次郎丸追注進状案によれば,重通の跡は,当郷は北方と南方に二分され,北方は惣領の重貞,南方は庶子の惟重が相伝した。重貞は多年知行の後,惣領分の北方を舎弟の惟重に譲り,惟重は庶子,惣領分を兼帯し,全郷を支配することになったが,その後,惟重は南方を子息内重に譲り,北方の惣領職を嫡孫の別当次郎丸に譲り,郷南部の内野を甥河北又三郎信重に譲り渡したという(同前)。ところが,別当次郎丸の叔父または従兄弟とみられる重名が惟重の遺領は未配分であると称して,郷内の数か所を押領したため,別当次郎丸と重名の間で正中年間,激しい相論が繰り返される。結果,元徳2年10月20日には,配分を命ずる裁許状が出され,重名の主張は一応通り,鎌倉末期から南北朝初期のものと推定される入来院塔原国方年貢支配注文には,「弥四郎殿(重名)分」「後家殿分」「次郎三郎殿(内重)分」「弥三郎殿(重見)分」「六郎三郎殿分」「女子分」「内野河北又三郎殿(信重)跡分」「惣領分」などが見える(同前)。南北朝期には,庶子系の重名は,武家方として活躍し,戦功をあげているが,惣領系も含めて入来院氏に圧倒され,永徳3年12月24日には,重名の子息道賢は入来院重頼から所領を安堵され,実質的には,同氏の被官となっている(同前)。当郷の地頭職も南北朝末期には入来院氏の手に移り,建徳2年の渋谷重門譲状,応永13年の渋谷重頼譲状,応永30年の渋谷重長譲状,嘉吉2年の同譲状に「塔原村」が見える(同前)。戦国期の明応から大永の塔原第一の武将は樋脇城主の樋脇氏であり,永禄までは地頭として紀姓の宮里氏が拠ったが,宮里氏は入来院宗家の代官であった。その後,文禄4年に入来院氏が大隅国湯之尾に移封されると,塔原は北郷氏の支配地となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462722
最終更新日:2009-03-01




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