ケータイ辞書JLogosロゴ 得丸名(中世)


鹿児島県>吾平町

鎌倉期〜室町期に見える名田名大隅国姶良【あいら】荘のうち建治2年8月の大隅国在庁石築地役配符の姶良荘50町のうちとして「得丸廿丁内〈二丈〉本名十七丁〈一丈七尺〉名主神一丸 三丁〈三尺〉名主六郎兵衛尉助元」とあるのが初見で,当名の本名の名主神一丸と3町を有した名主六郎兵衛尉助元の2人で合計2丈の石築地役を負担している(調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)正嘉元年4月23日の覚明寄進田畠注文には当名の「加治屋䉼田壱町内北伍段」が見え(台明寺文書/同前),弘安10年7月の宮侍守公神結番次第では3番として「姶良得丸 太郎大夫 諸太郎」とある(調所氏譜祐恒伝/同前)「管窺愚考附録」所引の得丸氏系図によると,姶良荘の開発領主平良宗の子良門が当名の名主となり,その後良包―良長―良兼―良綱―良世と相伝され,得丸氏と称した南北朝期〜室町期にも姶良荘内の名として史料に散見し,文和5年4月28日の畠山直顕合戦料所預ケ状では姶良荘内の得丸二郎五郎跡が合戦料所として畠山直顕によって禰寝清増に与えられている(禰寝文書)「姶良名勝志」に記された徳丸権現,「神社誌」に記された徳丸神社の位置から考えて,吾平【あいら】町麓・下名の付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462744
最終更新日:2009-03-01




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