ケータイ辞書JLogosロゴ 永田村(近世)


鹿児島県>上屋久町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国馭謨【ごむ】郡屋久島のうち。長田とも書く。「薩藩政要録」によれば屋久島の本村の1つで,小村に吉田があり,「三国名勝図会」でも屋久島の本村の1つで属村はない。村高は,「天保郷帳」では483石余,「旧高旧領」では699石余。村内を流れる長田川は河口を北西に向けており,北西の風が吹くたび砂が河口を塞ぎ大船の出入りは不自由だったという。船改所があって,海上の見張り・船舶の出入を厳重に監視した(屋久町誌)。人家は4〜5町川上の両岸にあり,川の左右は水田になっていた。水田の広さは島中第一であった(地理纂考)。村民は農・林・漁業に従事していた。寺院は法華宗顕寿寺・長寿院・蓮華寺の3寺があり,顕寿寺は京都本能寺・摂津尼ケ崎本興寺の末寺であった(三国名勝図会)。馬の多いことで知られ,水田を耕す時は山野から連れてきて使ったが,耕作が終われば再び山野に放ったという。近海に鰹の好漁場があった(地理纂考)。明治9年小学校設置(県熊毛郡郡治要覧)。同22年上屋久村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462816
最終更新日:2009-03-01




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